※リーマン家三シリーズと同系列の吉継と官兵衛











はっ、くしっ!
リビングに破裂音にも似た声が響く。
吉継は顔も上げずに手元の本に集中している様相を崩さなかった。もとより口元を布で覆っているため口角をあげたところで相手にわかりはしないのだが。
へっくし、へっくし。
続けて二回。また同じように声が響くと、今度は鼻を啜る音が続いた。
窓から差し込む日差しは暖かで、目は向けなくても晴天であることが知れる。
庭に植わっている植木は、硬かった蕾を綻ばせついに桃色の花が姿を現した。それはまさに春の到来を告げていて、人生の春とは程遠い吉継を若干苛立たせたが、新たな不幸を身近に見つけ、春も悪くないと目を細めた。

不幸の種が芽を出して花を咲かせた人間は、炬燵に足を突っ込んで、鼻を垂らしていた。
そもそもこの炬燵は吉継が使っているものなので、吉継が片付けることを容認しなければ夏を過ぎてもでている。ある種の視覚的暴力というものである。

はっくしょぃ!
語尾の「い」が拗音だった気がしてならない。
臓腑から込上げる何かに気付かないふりをして、手元の本を閉じると、ティッシュ箱を差し出してやった。
「やれ、暗よ。鼻をかみやれ。不快よ、フカイ」
「あー…ちくしょう、小生だって好きでやってるわけじゃ――っくしょい!」
話している言葉の途中でくしゃみに遮られる。
吉継に言われるまま鼻をかむと、今度は炬燵の天板に突っ伏し、呻きと唸りをこぼしている。
若干鬱陶しかったので、手元にあった本の角で頭部に一撃入れてみれば、ぎゃあと喚いて大人しくなった。

今日は国内に秀吉も半兵衛もいるというのに驚くほど静かだ。
なんでも、社員総出で花見をするらしい。
社屋を空にするのはいささか問題があるのではと思わないでもないが、あの二人の発案だ。委託警備員とわずかな人員だけ残してほとんど花見へ行っているのだろう。
当然三成も喜び勇んで飛んで行った。今頃、酒に呑まれて箍が外れてきた頃合じゃなかろうか。

本当は吉継も来るように誘われていた。
しかし、この体を日の元に晒すことは耐えがたい。
今朝も早くからやってきて直前まで吉継を説得していた三成だが、その意思が強固なことを悟ると渋々諦めたのか俯いて「わかった」と、リュウグウノツカイとやらと出会えそうな低い声で呟いた。
これっぽっちも納得はしていないのだろうが、口八丁に言い包める吉継に勝てた試しもないことを思い出したのだろう。
いついかなるときも相手の目を見て話す三成が俯いたり視線を逸らすのは、照れるか拗ねるかした時くらいだ。
わかりやす過ぎて、困ってしまう。
俯いたことで目に入った頭頂部を、包帯の巻かれた手で軽く触れてやる。指先まで包帯が巻かれていないことから変わらない、宥め方だった。
三成自身その頃を思い出したのか、髪の間から覗く耳が、ほんのり色付いていた。
いつまで経っても可愛い弟分を、せめて玄関まで見送ってやろうと重い腰を上げた。そのときだった。
軽いチャイムの音が吉継と三成の頭上に降ってくる。
こんな時間に何事だ、と。『こんな時間』より二時間早く来た三成が、足音を立てて玄関に突き進む。その後ろをゆったり歩きながら追えば、ドアを開けた先に、大きなマスクで顔を覆った不審者がいた。
「不審者とは何事だ!しょうせ…はーっくしょん!」
マスクを押し下げて抗議すれば、盛大なくしゃみが発言を邪魔する。
鼻の頭を真っ赤にしてやってきた官兵衛に、三成は冷ややかだった。
「貴様、こんなところで何をしている」
「…こんなところって、お前さん、実家だろうに」
「うるさい、言葉の綾だ! それよりも、秀吉様と半兵衛様が直々に場所取りをして下さっているというのに、なぜここにいる。一秒でも早く向かわないか!」
「小生はそこに参加せん。ていうか、できん」
やけにきっぱり言うものだから、三成の反応が一瞬遅れた。次いで、怒号が響いたわけだが、その背後で吉継は首を傾げた。
まあ様子からして相当酷い花粉症であるから、満開の桜に囲まれるのは自殺行為なのだろう。泣いてあの二人に懇願したに違いない。
だったらわざわざこの家まで足を運ばず、下宿先で大人しくしていればいいのだ。
「小生は、ここで、そこの引籠りと『花見』をするんだよ!」
「刑部と?」
振り上げた拳をぴたりと止めて、三成が聞き返す。
驚いたように目を丸くして吉継を見たが、吉継とて初耳だ。内心相当驚いていたが、表面に出すことはしない。
「ああ、二人にも許可をとってある」
「だったら先に言え、この愚図が!」
「お前さんが言わせんかったんだろうが!」
またぎゃあぎゃあと騒ぎ出す二人を、官兵衛の額に蜜柑を投げつけることで黙らせる。
額を押さえて蹲る官兵衛には目もくれず、三成を急かす。
「やれ三成、お二人が待っているのではなかったのか」
「そうだ、こうしてはおれん!」
慌てて飛び出そうとした三成を呼び止め、首に淡い藤色の襟巻を捲いてやる。生地は春物らしく薄いが、風よけ程度にはなる。暖かくなったとはいえ、夜になればまた冷え込むかもしれない。
他人の体調は人一倍気を使う割に、己の体調には無頓着な三成のことだ、その辺のことに気を配ってはいないだろう。
今は太陽のような男とともに過ごしているといっても、まさか自家発電はできまい。
こうして何気なく三成を気遣う吉継に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる様子を思い、口元を歪めた。それをどこか不思議そうに三成は見ていたが、そういう表情を浮かべるときは大体悪巧みをしているときだと思い、とくにつつくこともなかった。
軽く結び目を整えてやって、三成の背を押す。
「では、楽しんで参れ」
「貴様も、楽しんで花見をするのだぞ」
庭に向かって指をさす三成に目を見張る。
楽しめ、などと。
まっすぐ吉継を見つめる蜜色の瞳は、否定を許さない強情さを孕んでいる。
「…あいわかった、せいぜい楽しむとしよう」
安心したように緩んだ目元を愛おしく思う。
こうして吉継を気遣うところも、幼い頃から全く変わることがなかった。
「暗をこき使ってなァ」
「はぁ?! 小生は働か…へーっくしぃ!」
いきなりふられて慌てる官兵衛を置いて、三成は走り出していた。
常人離れした足であるから、すぐに駅まで着くだろう。
その頃には首に捲いた襟巻もぐちゃぐちゃになっているかもしれない。まあ、それを直す役目くらいなら与えてやってもいいかと思った。

「さて、暗よ。その腕に下げた土産を早に持ってくるがよい」
「偉そうに…」
「まあ、折角の桜よ。間近で見たいというなら止めはせんがなァ」
「わかった、わかったから早く入れてくれ!」
慌てる官兵衛に溜飲を下げてリビングへと戻る。
窓の外には満開の桜が広がっていた。














あなたとおはなみ

春から書いてたのに結局書き終わらなかった吉継と官兵衛と三成小話。

吉官布教に勤しみたかったのにそんな雰囲気に一ミリたりともならなかったという残念な結果に。


20110831(初出20110709)