音をたてて暗闇の中、フェンスを登る。当然正規の扉が開いているはずもなく。
遠くなる背中を見上げる形なった幸村は、シャツの中から除く背中の、見えない白さに目を背けた。

軽い音をたてて反対側に着地する。暗い水面が揺れて、足をとられるのではないかという恐怖に身震いをした。
「政宗殿、よくないですよ」
ふと、フェンス越しに幸村の声を聞く。
眉間に皺を寄せ、政宗をたしなめる。暗い中、表情が分かるのは月明かりのせいだ。
「平気じゃろうて、誰もおらんし」
「そうではなく、」
幸村の言葉をさえぎるように、靴を脱ぎ始め、飛沫をあげて飛び込む。
水中まではさすがに幸村の声も届かない。それがどこか苦しくて、水面に顔を出した。
大きく息を吸い込み、濡れたせいで視界を遮っていた前髪をかきあげる。

フェンスの揺れる音がすると思った。
次に来たのは、ダンという音と、幸村自身だった。

「全く、立ち入り禁止の札が下がってるプールに飛び込んだりして」
呆れなのか叱責なのか、おそらく両方なのであろう。幸村の眉間には先ほどよりも深く皺が刻まれている。
「帰りはどうなさるおつもりなのですか」
そうため息をつきつつも水面に揺れる政宗に、手をのばしてくる。
大きな掌と、呆れたような笑みと。

びしょ濡れで雫の落ちる掌を重ねて。


その手を、思いきり引いた。

政宗が飛び込んだ時よりも、よほど大きな音と飛沫がプールサイドに散らばる。
水中に二人して沈んで、それでも握った手を離さない。
底が深くないプールでは、すぐに足が付く。
それでももつれる足に慌て、繋いだ指はあっけなく解けた。

二人して水面に顔を出して、息をする。
止めていた呼吸のを取り戻すように肺に大きく吸い込めば、肺の形を身体の奥から判別できそうだった。
政宗と違い、唐突にプールに引き摺り落とされた幸村の足元は、当然靴まで水の中だ。
おそらく二人で歩けば、幸村のたどった後には靴の形どおりの水溜りが点々としていくのだろう。

こみ上げる笑いが抑えきれず、手のひらで口を抑えてもくふくふと声がこぼれる。
深いため息が、政宗の耳につく。
笑いが止まらない政宗とは対照的に、帰り道を思案する幸村がいた。
さきほどプールサイドから政宗に差し出した手が、政宗と同じように濡れて。
その手で前髪をかきあげた。

髪から滴る雫が、水面に波紋を描く。
睫毛から落ちる水滴が、頬を伝い、頤から暗い水面に吸い込まれていく。

幸村の黒い瞳に映るのは。


こぼれていた笑いが、止んでいた。
息をすることさえ忘れた。

ただ、目の前の男に見惚れていた。


水面に映るは、明るい月と。














重なる影

幸←政

 

20110515(初出 20080613)