※リーマン家三
※性的描写を含むため、18歳未満の方はご遠慮ください
(風邪引き権現パート)
思えば今日一日ついていなかった。
朝から湯呑みを二度倒した。今日だけで同じドアに額を三度ぶつけた。四度目に承認印を押し間違えて、さすがに異変に気がついた。鈍感と、見る人が見れば言ったかもしれない。
今日は一日ついていない。これ以上不運が続くと周囲にもさらに被害が及ぶだろう。承認印を押し間違えた書類は、現在進行形で作り直されている最中だった。
ごきりと鳴る首に手をやり、久しぶりに残業せず帰宅しようかと思案していれば先ほどの書類を差し出された。部下の不安気な表情を目に留めて「さっきはすまなかった」と苦笑まじりに謝罪を述べれば、何か言おうとした口が引き結ばれる。今度は正しく印を押し書類を渡した。
家康のいる営業一部は多忙を極める。部下たちでさえ定時あがりが月に数回あればいい方だが、家康に至ってはその日のうちに帰宅できれば万々歳で、会社に泊まることもしばしばだ。社内にシャワールームも仮眠室も完備されているため、不便はないが疲れが完全にとれることはない。
外回りで契約を取り付けた後は、じっくりと自宅の風呂に浸かりたいものだがどうにも後処理に追われて自宅が遠のいていた。
ため息をついて立ち上がる。同時にばきりと鳴る腰に手をやって二三度捻れば更に音が続いた。
「すみません、こちらなんですが」
「うん?」
家康が立ち上がったのを見て、部下たちが書類を手に問うてくる。些細なことも含んでいたが、上司としてそれらを無碍にすることはできない。四月に入ったひこよたちも、大分物事を判断できるようになっていたが、最終的な判断は上司に委ねたいのだろう。その心理は理解できる。
数人に囲まれた状態で、あ、と口を開いた部下の顔が視界の端を掠めたが、気には留めていなかった。
だから、突如膝裏を襲った衝撃に耐えきれずそのまま床に膝をついた。
あまりに唐突だったため、何事かと周囲を見回す。どこか怯えを含んだ部下たちの視線が己の背後に集中していることに気付き振り返る。そこには、鋭い視線で家康を見下ろす三成の姿があった。角度的にもその視線に含まれる意味合い的にも、「見おろす」よりも「見くだす」の方が正しかったかもしれない。
位置からして、今、家康に「膝カックン」をかましたのは三成だということになる。あまりにも三成の行動に似つかわしくなくて思考がまとまらない。
「み、三成?」
「貴様、そのまま立ち上がってみろ」
不機嫌さを隠さないままの声が家康の耳に届く。こちらの困惑などおかまいなしなところはいつも通りだが、どうにも言葉の端に焦燥が滲み出ているような気がした。
他人から見れば怒り以外の感情が表に出にくいと思われがちだが、案外三成は表情豊かだ。それが分かるのは身内である秀吉や半兵衛、吉継や家康程度であると知っているので優越感も覚える。だからこそ、三成の変化には敏感だった。手を伸ばして頬に触れたい。その不安を取り除いてやりたい。
すっくと立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気がつく。強かに打ち付けた膝がじんじんと痛む。手をついて立ち上がろうにも力が入らず、ますます困惑した。
数回繰り返しているうちにため息が聞こえる。それは思いのほか近くで聞こえ、脇の下に三成が肩を入れて家康を立ち上がらせようとしたのだと気が付いた。
「今日はもう上がらせるが、問題ないな」
家康の荷物を持ってこい、と高圧的な態度で指示している三成の声が遠くに聞こえる。自覚がなかったからなんとか持ち堪えていたものの、自覚してしまえばどうにも足元が覚束ない。ゆっくりと持ち上げられる身体とともに脳が揺れる錯覚。ようやく体調が優れないのだということを悟った。
十秒も経たないうちに伊井が荷物をまとめて三成に手渡した。その際、タクシーを入口につけてある旨を伝える。
三河商事が豊臣傘下に下る前からの社員である伊井らは家康の体調が思わしくないことにもそれとなく気付いてはいたのだろう。三成に支えられて立っている家康を案じる気配がうかがえた。
「ちょっと待ってください、この書類の決裁がまだ…」
受け取った荷物を手に去ろうとする背中に、慌てた若い声がかかる。
「あとは任せて構わないだろう」
「ええ、くれぐれもよろしくお頼み申し上げます」
「…すまない、頼んだ」
「どうぞごゆっくりなさってくださいませ」
部下に任せてしまう不甲斐無さに眉が下を向く。それに笑顔で答えてくれる部下が心強かった。
月末が迫るとどこの部署も慌ただしくなる。当然家康率いる営業一部も提出書類の準備に忙しなかったが、残った書類は家康がおらずとも決裁が下る。それを見越してのことだろう。あとはこの者らに聞けと言い残し、三成はその痩身で家康を支え、今度こそ部屋を出た。
すらりと伸びた背筋が風を切って進む様はいつ見ても清々しいものだったが、こう身体を預けた状態ではそれを目にとめることも叶わない。触れた肌から感じる三成の低い体温が、いつもよりも心地いい。
背丈はさほど変わらない―と三成は言い張る―が、がっしりとした体格の家康を運ぶのは骨が折れたのだろう。井伊の手配してくれたタクシーにその体を押し込んだ時には、大分息が上がっていた。そのまま隣りへと腰を下ろすと、自宅への道を運転手に告げる。
車が走り出し、緩やかな震動が家康を揺らす。
「人に散々体調管理をしろと言うわりには随分と無様だな、家康」
聞かせようとは思っていなかったのだろう、小さな呟きが落ちてくる。
エンジン音とクラクションが遠くに聞こえてくる中、すぐ近くにある体温に安心して意識は暗闇に吸い込まれていった。
(中略)
(社内でなにやってんだパート)
コツリコツリと革靴が床を叩く音の響く廊下に、さらに音が重なって響く。社内にまだ活動している人物がいることに、素直に驚いた。
足音は確実に家康の元へと近づいてきてはいるが、姿が見えない。丁度角の向こうから響いてきているのだろう。きっと相手にもこちらに家康がいることに気が付いている。
角を曲がる直前、見慣れた痩身が現れた。
「三成?」
「家康…」
思わず凝視してしまう。目の下にはくっきりと隈があり、普段から血色の悪い顔がさらに酷いことになっていた。家康同様一睡もしていないのだろう。乾いた唇が家康の名を呼ぶ。
マーケティング部も一時間後の会議に参加することになっていた。
一時間。
気付けば三成の手首を掴んでいた。自分たちが立っている真横にはトイレ。人気のない廊下。そして、家康を視界に留めた瞬間、確かに三成の瞳に浮かんだ欲情の色。これだけ揃えば十分だった。
無理矢理手を引いて、廊下から離れた個室を目指せば三成も察したのだろう。頬に紅が差す。
何か言おうと口を開いた三成を壁に押し付け、口唇を己のそれで塞いだ。
スーツに皺をつけては流石に目立つ。しっかりとアイロンのあてられたスーツをまとった姿しか社内で見かけることのできない三成のスーツに皺をつけてはまずいと、口唇を触れ合わせながら上着を取り去り、二人分の上着を壁にかけた。
忙殺されてゆっくりと顔を合わせることもできず、やっと逢えても交わした言葉など仕事以外に何もない。そんな日々がどれだけ続いていることか。
カラカラに干上がっていた。家康も、そして三成も。
吐息すら奪うようなくちづけに息が上がる。口腔に滑り込ませた舌に軽く歯を立てられるが、それさえ刺激になって下腹部が熱くなった。喉の奥まで舌を潜らせ、根元から絡ませる。余裕のない口付に、耐えきれなくなったようにどちらのものともつかない唾液がこぼれた。それを舌で拭ってやれば、閉じた瞼が震えて睫毛を揺らした。
互いのバックルに手を伸ばし荒々しく外す。ズボンの前を寛げて下着の上から線をなぞると、小さく震えて家康の肩に縋りついてくる。ワイシャツ越しに触れてくる熱は、わずかな口付の間に上がっていた。
藤色のワイシャツをたくし上げて薄い胸を撫でる。暫く見ないうちにまた肋が浮き出てきているではないかと眉を顰めた。
「三成、わしがいない間きちんと三食くっておらんだろう」
「うるさ…、ひァッ」
膨れた果実に歯を立てれば、唐突な刺激に高い声が落ちる。そのまま周囲に舌を這わせ、もう片方は指先で挟んでやると、両腕が家康の背中に回り、シャツを引いて引きはがそうとした。
「あまり声を出すと、廊下まで聞こえるぞ?」
「そう思うのだったら、即刻、やめ、ろぉ…ッ」
胸から顔をあげて三成の顔を覗きこめば、鋭い視線が家康を睨みつけてきた。ただ、その目元は赤く染まっており、効果など家康の背中を押す程度でしかなかった。
家三リーマン二本立て。
タイトルの割に働いていません。いちゃいちゃちゅっちゅしてます。
101114発行