Alea jacta est

※リーマン家三
※気付いたら同棲6年目
※今回はいつもと違い薄暗い仕様です。あらかじめご了承ください
※また、本編では性的描写を含むため、18歳未満の方はご遠慮ください

常に変わらず、営業一部は多忙であるべきだった。
しかし、季節は夏。クールビズやら夏休みやらで、現在社内に残る人数は極めて少ない。
この時期、営業先もほとんど休みで商談に出掛けることもできず、かかってくる電話もほとんどない状態で邪魔されることもなく、実に前倒しの作業が捗ってしまった。端的に言うと、暇を持て余している。
ただ、この一時の閑散期を過ぎれば盆休みの分をまとめてけしかけられたかのように繁忙期が訪れるので、正直毎年訪れるこの長閑な時間はありがたかった。
屋内はブラインドで遮ってしまうため照りつける日差しからも守られているが、窓の外では蝉たちが声を枯らすほど鳴いている。
繁忙期の訪れと入れ替わる様に、これもあとひと月足らずのうちに止んで気付けば耳に入ることもなくなるのだろう。そういえば、去年は一体いつ頃この声を耳にしなくなっただろうかと考えてみたものの、思い返せる自信など一切なかった。
手元の書類を机に戻して、席に着いたまま軽く背筋を伸ばす。思ったよりも音を立てて背中が鳴り、壁時計を見直せば思ったよりも時間がたっていたことにようやく気付く。
あたりを見れば、ちらほらと席に着いた部下たちがくすりと笑って上司を窺っていた。それに苦笑いを返し、ごまかすようにと席を立った。

腕をと天井に向かって伸ばすと、肩がばきりと鳴って凝り固まった身体が疲労を訴えた。
廊下に出ても、平素の喧騒からは程遠い。壁の向こうでキーボードを叩く音と、ごく稀に鳴る電話の音が、自分の立てる靴音に混ざって人気のない廊下によく響いた。
ゆったりと歩く足音に、軽やかでいながら神経質な足音が重なる。目を凝らさずとも、正面から向かって歩いてくる姿はこの会社を取り仕切るメンバーの一人である竹中半兵衛に違いなかった。
常に皺ひとつないブランド物のスーツで身を包み、女子社員の熱の籠った眼差しを一身に集める。
緩やかにウェーブを描く髪は銀色で、つい脳裏に浮かんだのは不健康なほどに細い姿。半兵衛とは違い、滅多に笑みなど浮かべることはないが稀に浮かべる気を許した表情に心臓を鷲掴みにされる。
おそらく見慣れることなどない顔に、雪だるま形式に愛しさが増して止まらない。
思わず頬が緩みそうになるのを必死に堪えていると、気付けば半兵衛が目の前に迫っていた。
「半兵――ぶッ」
「清々しいくらい三成君しか目に入らないみたいだね、君は」
挨拶もなしに笑顔でかけられた言葉は否定する術もなく、顔面に押し付けられた何かによって声は遮られる。
容赦なく鼻に食らった圧力に涙目になりながらも、押し付けられた封筒を手に取った。
「三成君最近全然休んでないんだって、どういうことかな」
思わず身を引きそうになるほど凄みのある笑みで迫られ、広い廊下だというのにまるで行き止まりに追いやられたように逃げ場がどこにも見つからない。
「何でも企画がなかなかまとまらないらしくて」
「それでもかれこれ一ヶ月無休とか、うちの会社労働法違反で書類送検されてもおかしくないんだけど」
「それはワシではなく三成にいたいいたいいたい」
「いいから、黙って二人でそれ使ってきなさい、いいね。三成君には『上司命令』って言っても構わないから」
至極尤もである意見は、頭一つ分低い位置から伸ばされた指に耳を引っ張られることで受け入れられることはなかった。
渡されたそれを改めて手に取ると、二人分の往復新幹線と旅館のチケット。日付が明日になっているあたり、端から二人に拒否権などなかったのだろうことが窺い知れる。それでも折角与えられた機会を無碍にすることなどしない。
丁度明日から夏季休暇を取っていたので、業務に支障が出ることもない。明日になれば信頼のおける部下も出勤してくる。ほとんどの部下が休みを取った後に空いた日程で休みを取ったらこうなったのだった。
それすら見通した行動のような気がして、恐ろしさを覚えずにはいられない。
「ありがたく、頂戴します…」
「それから―――あの話はしたのかい」
一瞬にして声色の変わった半兵衛に、ひやりと内臓に冷たいものが落ちる。
吉継にしても、半兵衛にしても、思いがけない瞬間に首筋に刃を向けてくるのだ。その刃は確実に急所を捉えていて、首筋に充てられた刃をそのまま引かれるだけで全ては終焉を迎える。
それでも家康憎さからから行動に移さないのは、ひとえに彼らの愛する無垢な魂のためだ。それは家康とて同じことである。
無言を正しく否定ととったのか、目を合わせられない家康に対してこれ見よがしに深い溜息が落とされた。
「君ねえ、前轍を踏むつもりはないんだろう」
「わかっては、いるんだが」
「まあ、君が言いやすいタイミングで伝えればいいさ。彼もそう簡単に受け入れられるとは思わないし」
家康の葛藤に気付いているのか、動脈に充てられた刃はすぐに鞘へと戻されて気迫も霧散している。
「何なら僕らから伝えても構わないけど」
「いや、自分で伝えたい」
「だったら、なおさら早く伝えるべきだと思うよ」
とりあえずは、三成君を強制的に出勤させないこと。
そう言い残すと、家康に背を向けて颯爽と去って行った。廊下にはやはり軽やかな足音ばかりが響く。
半兵衛より縦にも横にも大きな身体をした青年を、まるで我が子を見るように眺めていたことに、視線を逸らしていた家康は気付かなかった。

(中略)

鍵を開けると扉が閉まりきるのも待たずに腕を伸ばし抱きしめた。後ろ手に鍵を閉めながら互いを引き寄せて口付を交わす。
風呂に入って身体を温めなければ風邪をひくとか、そんな当たり前のことを優先できないくらい、心臓が張り裂けそうなほど互いを求めていた。
靴を揃えることもなく、縺れるように部屋に上がる。
濡れたシャツが張り付いているのを引き剥がす様に脱がせながら、すでに敷いてあった布団へ横たわる。
ようやく露わになった三成の白い肌は、陶磁器のように滑らかで冷たかった。
舌を這わせると氷のようで、溶けてしまいそうだと薄らと思った。
「…ッ」
「寒いか、風呂に入るか」
だがすまん、離れられない。離せない。
頭上から悲鳴のような声が降ってきたのを案じるように声をかけても、本心は偽れない。それだけの余裕が、今は一切なかった。
「いい、貴様が、あたためろ」
はやく、と告げる唇を再び塞いで舌を絡める。
互いの下着まで脱がしてしまえば、全裸の体は確かに互いの熱を求めていた。

そして歴史はくりかえす
不和の足音がすぐそこまで

半兵衛様が出てきたりしますが、今回刑部はお休みです。
最初からこの設定で書いていたんですが、ようやくお目見えといった感じです。

110812発行